劇団 お伽座

劇団「お伽座」について

【お伽座の歴史】

1) お伽座旗揚げまで

テレビ番組で、田舎の家を改造して、畑を耕し自然農法をするとか、無人島に小屋を造って、数週間住むなんて言うのがあります。何もない所から、タレントさんが四苦八苦して、作り上げて行く過程をつぶさに記録して見せるという趣向です。艱難を乗り越えて、なにかを達成する姿はやはり感動的で、思いがけない苦難(やらせでも)を、それなりの知恵で解決するのを、視聴者は笑ったり泣いたりして見守ります。そんな、番組がはやるのも、仲間で集まって一つのことをやり遂げる経験が、圧倒的に少なくなってきたからじゃないかと思うのです。今から27年前、お伽座はそんな番組を地でいく始まりをしました。

もちろん、無人島で狩猟生活をした訳じゃないけれど、都会で何もない所から第一歩を踏み出すしんどさを思い知った創世記でした。座長の「芝居作りは、仲間作りからだ。」という熱い想いに引き寄せられて、当時6人の怖いもの知らずが集まりました。「始めればなんとかなる、大丈夫だ」という裏付けのない勢いでとにかく集まる場所がないと話にならないので、稽古場さがしからはじまりました。
1982年当時、バブル以前の時代の隙間でたまたま、板橋の片隅に町工場跡が残っていて(町工場がどんどん閉鎖していたころです)、大家さんが思い出の工場だから、取り壊したくないと格安で賃貸物件に出ていたのに出会ったのです。
最初に下見に言ったときのことは、今でも忘れられません。わりと駅から近いのはよかったのですが、もとは金型工場でしたから、煤が厚く壁にコーテングされていて、床は土間だし、見上げると天井には穴が開いてました(雨漏りなどというなまやさしいものではないのだ、穴から空が見えていましたから)ここをどうやって稽古場にするの? という、不安などおかまいなしに,「大丈夫だ、こんなのはやればあっという間だ」という超プラス思考の座長の号令で改装工事がはじまりました。
職人さんを雇うと、早いし綺麗にできますが、お金がかかります。座長は手間賃なしの、材料費のみという経済を選択しましたので、文字通り手作りの第一歩です。

バイト暮らしの劇団員が、仕事の合間をぬって時間の許す限り、土木工事から大工のまねごと、天井張りから電気工事までなんでもござれでした。半年以上かかった、工事の詳細をここで語るのは退屈でありましょうから、ごく一部をお伝えするにとどめます。

先ほども述べましたが、床は土間でしたので、そこにコンクリートを流して、平らにする作業からはじまりました。こう書くと簡単に感じるむきもおいででしょうが、ご自宅の庭や、通路等、コンクリートを流してならしたことのある方なら、約20坪の広さの土間を平らにならすことの難しさはお分かり戴けるでしょう。
どんなに広くても、コテ一つでならすのですから、素人がやるとでこぼこになってしまいます。コンクリと砂の分量も試行錯誤です。しかし、人間どんな才能を持っているのかは、いろいろやってみないと分からないものです。一座の中で、一人、左官屋のおじさんがいい手つきだと褒めてくれた女子がおりまして、結局ほとんど床は彼女一人でならしてしまいました。(コンクリこねは、男性の役目)しばらく体が、くの字になったまま戻りませんでした。
座長はそういうときは、「お前は、コンクリートをならすのがすきなんだなあ」とおかしな褒め方をします。決して上手いとは言いません。そうすると、好きかもしれないなあ、と思い込むのが役者の馬鹿なところです。

今思い出しても、うんざりするのは厚くこびりついた煤を落として、グラスウールを壁に取り付ける作業でした。何十年の歴史ある煤は、アニメのまっくろくろすけなんていう、かわいいものではありません。皆、炭坑夫のようになって、チクチクのグラスウールを切ったりはったりしました。夜のバイトがある者は、近所の風呂屋に入ってから行くのですが、髪の毛を洗うと、真っ黒な墨汁のような洗い汁が流れ出して、周りの堅気の衆を驚かせたものでした。

当時、ガテン系のバイトをしていたので、座長はじめ男子諸君は大工仕事はお手のものでした。時間さえかければなんとか、形になりました。そんなこんなで約半年がかりでぼろぼろの工場を、皆の血と汗と涙と心意気で稽古場に作り替えてしまいました。

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